ベヒレと石畳 旧市街の路面

2020.10.04


カテゴリ: 歴史, 観光

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フライブルクのミッテ(旧市街地)の景観を特徴づけているものといえば、ベヒレ(水路)と、石畳が挙げられます。どちらも路面に関係します。今回はこの二つを紹介したいと思います。

ベヒレ(Bächle)

フライブルクの旧市街を歩いていると、ちょろちょろと水の流れる水路が至るところに目につきます。この小さな水路がべヒレ(Bächle)と呼ばれるもので、フライブルクの町のシンボルの一つと、自他ともにみなしています。

日本の町によくある側溝とは違い、川から引いたきれいな水を流しています。また、水深も浅く、簡単に跨げる幅なので蓋もされていません。冬の間は、本流をのぞいて水は止められます。

この水はドライザム川の上流にあるカルタウス僧院(Kartaus)の付近から引いていて、川と並行する水路を流れ、シュヴァーベン門(Schwabentor)の付近から旧市街地内部入っていきます。旧市街地の高低差を利用して、下流側(中央駅側)へと自然に流れていきます。下の写真はシュヴァーベン門の付近のべヒレで、他より水深が深くなっています。

夏になると子供が(たまに大人も)水路の中に足を浸けて歩いているのを見かけます。水路に浮かべ、紐で引いて遊ぶ船のおもちゃも露天で売られていたりします。フライブルクの夏の風物詩です。

ベヒレの歴史と経緯

ベヒレの歴史は古く、記録に残るものでは1220年の文書に記述があります。考古学的には、1120年にフライブルクが出来た時からべヒレも存在していた痕跡が見つかっています。中世の絵図にも、きちんとベヒレが描かれています。

べヒレは中世当時は単純な構造でしたが、19世紀に道路の近代化を図る過程で、砂岩を使った近代的なものに作り変えられていきました。

なぜベヒレが作られたのかと言うと、フライブルクの町は水はけの良い扇状地の上に立地しているため、地下水の水位が低く、井戸水を利用しにくかったことがあります。

人間の飲み水に関しては、フライブルク旧市街南方の山麓から上水道で引いてきた湧き水を使っていました。しかし、それだけでは需要をまかなえないので、飲み水以外の用途や、家畜用の飲み水として使えるように、べヒレのネットワークが作られました。

現在ではそのような用途は想定されておらず、町のアイデンティティ、あるいは観光資源としての側面が強くなっています。

他の町のベヒレ

ベヒレはフライブルクにしかない訳ではありません。フライブルク近隣のシュタウフェン(Staufen im Breisgau)の旧市街地にも同じようなベヒレがあります(写真左)。

また余談ですが、日本でも岐阜県郡上市の八幡に行けば、少し似た雰囲気の水路の町を見ることができます(写真中・右)。(残念ながら徐々にに蓋がされていっているようですが。)

ベヒレという名前の意味

ドイツ語では名詞の後ろに「chen」を付けると、”小さくてかわいいもの“を意味するようになります。語学用語で縮小形(Diminutiv)というそうです。食パンのようにスライスして食べる大型のパン(Brot/ブロート)に対する、ロールパンのような小型のパン(Brötchen/ブレートへン)がすぐ思いつく例です。

これが南西ドイツの方言(アレマン方言)だと、chenではなく「le」になります。ドイツ語では小川のことを「Bach/バッハ」といいますが、これにleが付いてBächleになっているわけです。(ドイツ語では語形が変化すると母音にウムラウトが付くことが多い)

つまりベヒレは単に「小さな水路」という意味の普通名詞です。

言い伝え

ベヒレには一つ有名な言い伝えがあります。フライブルクを訪れた人が不意にべヒレに落ちると、その人はフライブルクの人と結婚する運命になる、と。

わざと足を浸けても意味がないのでしょうが、私自身は結局、一度も不意に足を落とすことはありませんでした。フライブルクへ居着きたいなら、自力でなんとかしなさいということでしょうか。

石畳の模様

フライブルクの旧市街エリアでは、車道部分(と言っても車は原則入って来ません)は粗めのピンコロ石で舗装され、一段高い歩道部分はきめの細かい丸っこい石で舗装されています。

この歩道部分の舗装には、ところどころモザイク画のように絵柄が描かれています。べヒレと並んで、フライブルクの旧市街の景観を特徴づけています。

歩道部分を小さな石で装飾的に舗装するのは、別に中世からの伝統というわけではなく、19世紀になってからある石畳職人が始めたそうです。

おおむね、そこに建っている建物の用途を表しているようですが、色々なパターンがあります。また、現在の店とは関係のない絵柄の場合も多いです。

これはフライブルク県庁(Regierungspräsidium Freiburg)の前。バーデン・ヴュルテンベルク州の紋章が書かれています。

ちなみにドイツでは州と郡・市町村が重要で、州の下にある県(行政管区)はあまり存在感はありません。州内にはフライブルク県の他に3つの県があります。

最近できた(1999と書いてある)百貨店、Galeria Kaufhofのモザイクもあります。

市庁舎前の姉妹都市の紋章

旧・新市庁舎 / Neues Rathaus(大昔に新市庁舎として建てられた建物)前には、姉妹都市の紋章が描かれていて、日本の松山市の市章もちゃんとあります。

ドイツの自治体の紋章に比べてみると、日本の都道府県や市町村のマークは家紋の流れをくんでいるからか、素っ気ないデザインが多いように感じますが、こうしてモザイクにしてみると、他都市と全然遜色ないですね。

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