02. 環境都市の源流(2) – シュヴァルツヴァルトの立ち枯れ問題

2022.07.26


カテゴリ: 環境, 環境都市フライブルク

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ドイツでフライブルクと言えば、環境もありますが、何よりまずシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald / “黒い森“)のイメージが出てきます。そのシュヴァルツヴァルトでは1980年代、木々の立ち枯れが問題となっていました。まるで白骨化したような、枯れ木が立ち並ぶ風景は印象的です。

現在のシュヴァルツヴァルト(フェルトベルク付近)

日本では特段珍しくありませんが、1400m級の山を頂点に延々と低山が続き、濃い緑の針葉樹が覆っているシュヴァルツヴァルトの風景は、ドイツでは珍しいと言えます。

実際の観光地となる小都市や村々は、シュヴァルツヴァルトの森の中に点在しているのですが、フライブルクはその観光の入り口、拠点という位置付けです。(フライブルク自体も観光地となるので、日本で言えば箱根観光の拠点の小田原のようなイメージ)

立ち枯れの発生

第二次大戦の敗戦国であるドイツ(当時は西ドイツ)も日本と同じく、戦後の高度経済成長というものがありました。ドイツでは経済の奇跡(Wirtschaftswunder)と呼ばれています。その弊害として、工場からの汚染された排気が問題となりました。日本でも公害が社会問題となったように。(ドイツの場合は隣国が地続きなので、隣国の影響ももちろんあります。)

大気汚染が生み出す影響の一つは酸性雨です。1970年代終盤から、シュヴァルツヴァルトに限らず、ドイツ各地の森林で立ち枯れが問題となり、当時は酸性雨が原因として疑われました。

現在では立ち枯れの原因は酸性雨ではなく、光化学オキシダント等の大気汚染物質が原因という考えが主流のようですが、いずれにしろ産業活動による大気汚染が原因です。また樹木にさほど影響がなくても、酸性雨により土壌が酸性化すれば、土壌中の微生物にも確実に影響が出ます。

立ち枯れた樹木の例(フェルトベルク付近)

ちなみに高度経済成長により大気汚染が増大した日本でも、立ち枯れは発生していました。天然のモミ林が立ち枯れた丹沢山地の大山の例は、私が子供の頃読んだ本で、シュヴァルツヴァルトの例と並んで紹介されていました。日本の土壌が元々酸性だからか、日本が植物の生育に適した気候だからすぐに再生したのかはわかりませんが、ドイツよりは軽微で済み、そこまで大きく取り上げられならなかったようです。

市民の運動と政府の対策

1980年代初頭から、森林保護を訴える市民によるデモが盛んになりました。当時台頭してきた緑の党によって、連邦議会のテーマにも据えられました。森林というものはドイツの文化に深く根ざしたものでもあり、この問題は政府も無視できなかったようです。

森林が身近にあるフライブルクでも、市民団体による自然保護活動や、学術機関による森林研究が盛んになりました。

政府による汚染物質排出規制などの対策や、汚染物質除去技術の進歩により、大気汚染が改善されたことで、立ち枯れは治まりました。政府による対策が間に合った、と評価している研究者もいます。その後1990年代以降は、むしろドイツの森林面積は増加傾向にあります。

ただし近年でも別の原因で、立ち枯れは発生しています(参考:BUNDの地域支部のページ)。害虫の発生や夏季の高温乾燥化によるものが主ですが、どちらも地球温暖化の影響を無視することはできないでしょう。ましになったとはいえ、大気汚染のダメージが少しづつ樹木に蓄積している可能性もあります。

森を通して環境を見る

ドイツの気候は、日本と同じ温帯に分類されるとはいえ、大きく異なる点もあります。日本より全体的に気温が低く、降水量も少なめです。緯度的には北海道よりもずっと北に位置します(北海道北端よりもドイツ南端の方が北)が、大西洋の海流の影響で、”比較的”温暖に保たれている状態です。特に夏季の気温の低さ(比較的)と、降水量の少なさは、日本に比べると植物の生育にとってあまりいい環境ではありません。

高温多湿で生態系も豊かな日本では、土地を長期間放っておくと勝手に森に還ります。ところがドイツでは植物の生育速度も遅く、土地を放っておいてもなかなか森にはなりません。また、ドイツも含めヨーロッパのアルプス山脈以北は、かつて氷河期に大氷河に覆われていたため、生態系が一度壊滅していて、現在でも生物多様性がまだ低いままだと言われています。ドイツにおいて森林は、それほど貴重だということです。

私見になりますが、これらの条件がドイツにおける「人の手で森をつくり育て、維持管理する」という考え方に繋がっていると思います。そして、木々が立ち枯れていく様は、それだけ重く受け取られます。立ち枯れた一体を元の森に戻すのに、一体どれだけの時間と労力が必要になるのだろう、と。

管理された森(フライブルク市内 Günterstal)

「環境を守る」という言葉は21世紀ではすでに陳腐化してしまっていますが、その本来の意味、つまり「自分達の周りにある自然環境を、できるだけ壊さずに維持する」という考え方が、ここフライブルクではシュヴァルツヴァルトを通して再確認、強化されているように感じられます。地球温暖化にしろ大気汚染にしろ、森では”目に見える”形で影響が出てきます。森が身近なフライブルクに住んでいれば、人間の活動が引き起こす環境破壊に対して危機感が生まれるのも、必然かもしれません。


次の記事では、私の考えるもう一つの源流、モータリゼーションの荒波から旧市街地をどう守るか、について書きたいと思います。

03. 環境都市の源流(3) (編集中)

目次ページ(環境都市フライブルク)

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