01. 環境都市の源流(1) – ヴィール原発建設への反対運動

2022.07.21


カテゴリ: 環境, 環境都市フライブルク

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フライブルクはドイツの環境都市として知られるようになっていますが、フライブルクにそのようなイメージが付加されたのは、ここ数十年の話です。そして、そのようになるきっかけというのがいくつかありました。

環境都市となるきっかけとして、最初に挙げられることの多い原発反対運動について、今回はみていきたいと思います。

フライブルクとヴィール

フライブルク市はライン川沿いの、南北に細長い盆地に位置しています。盆地の東側はシュヴァルツヴァルトが、西側はフランスのヴォージュ山脈が縁取っていて、中央を南北にライン川が流れて国境となっています。

フライブルクは盆地の東縁にあり、ライン川とは少し(15kmほど)離れていますが、フライブルクとライン川の間は平地が続いているわけではなく、一つの死火山が鎮座しています。その名をカイザーストゥール(Kaiserstuhl / “皇帝の椅子”)と言います。

カイザーストゥールの麓には、ワイン用のブドウ栽培に適した、緩やかな斜面が広がっています。単にドイツ南部にあるので気温が高いだけでなく、土壌が熱を蓄えやすいので、高温を必要とするワイン用のブドウには最適なのだそうです。それによってドイツでは珍しく、赤ワイン用のブドウも生産されています。カイザーストゥールとその周辺地域は、ドイツワインの銘柄の一つバーデンワインの主産地の一つです。

ヴィール村、原発建設予定地の位置

そんなカイザーストゥールの北辺にあるヴィール村(Wyhl am Kaiserstuhl)の付近に、原発の建設計画が立ち上がりました。

ヴィール原発の計画と反対運動

当初はもっと南のブライザッハ(Breisach)付近に計画されていましたが、冷却塔が周囲の気候へ及ぼす悪影響への懸念から、農家やワイン生産者の反対があり、建設地がヴィールに変更されました。

計画では1300MW(メガワット)級の反応炉を2つ備え、冷却塔の高さは150mとなっていました。

(一般的な原子力発電所のイメージ)

計画が発表されるとすぐ、ヴィール村住民による反対運動が始まりました。反対運動は周辺の村や、フランス側のアルザスにも広がっていきました。彼らが懸念したのは、ブライザッハの時と同じく冷却塔が周辺の気候へ及ぼす影響(霧が発生しやすくなる)や、皮に排出される冷却水の河川生態系への影響、また発電所の電力供給によって地域が工業地帯になり、農業を続けにくくなることでした。

何となく放射能が怖い、というような理由ではなく、具体的な懸念点が挙げられていたことは、ドイツらしいと私は感じます。

1975年には建設予定地の土地が電力会社に売却され、州も建設許可を出します。しかし計画に反対する自治体や市民が裁判所に訴えを起こします。先述のように周辺への悪影響への対策が不十分であることの他、原発そのものの安全性への疑問が論点でした。

予定地の一部では建設工事が始まり、工事中止を求めるデモ隊に占拠されたりもしました。デモ含めた市民運動には、大学町だったフライブルクの学生も多く参加していました。訴訟や市民運動が続けられた末、1977年に発電所の建設はストップします。(この経緯は複雑なので、別の機会にまとめようと思います)

1986年のチェルノブイリ原発事故もあり、ドイツ市民の原子力への疑念は拡大します。そして1994年になって、ヴィール原発は正式に計画中止となりました。

反対から代案提示、自然エネルギーの都へ

ヴィール原発を巡って展開された反原発の運動は、そのまま自然エネルギー(ドイツでは”再生可能エネルギー” / Erneuerbare Energie と呼ぶ)を志向する流れへとつながっていきました。

原子力には反対だが、電気は使いたい。ではどうするのがいいのか?という流れで、フライブルクや周辺地域では市民による勉強会や集会が開かれるようになりました。(このように市民が自主的に活動するのは、ドイツではさほど珍しいことではありませんが。)

自然エネルギーへの志向の高まりと共に、ソーラーファブリック社(現在はフライブルクから撤退済み)やエコ・インスティトゥート(Öko-Institut e.V.)、フラウンホーファー研究所(Fraunhofer-Institut Freiburg)といった、自然エネルギーや太陽エネルギー関連の企業や研究所が集積していきました。

エコ・インスティトゥートの入居する建物

有権者としての市民の志向は、フライブルク市政にも反映されていきます。フライブルク市では、CO2排出量を1992年比で2030年までに50%、2050年までに実質0%(カーボンニュートラル)とする目標が、2014年に市議会で議決されています。

おわりに

ただ反対するだけではなく、その先の未来を見据えた建設的な議論や行動ができること。じゃあどうするのか、という質問への回答。日本人の私から見ると、ドイツの民主主義がうまく機能しているように見えるのは、この点が確保されているからなのかもしれません。あくまで個人的な感想ですが。


次の記事では、もう一つの重要なきっかけ、シュヴァルツヴァルトの立ち枯れ問題を扱いたいと思います。

02. 環境都市の源流(2)

目次ページ(環境都市フライブルク)

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