フライブルクの押さえておくべきキーワード

2019.11.19


カテゴリ: 一般

タグ:

フライブルクを知るために、どこからアプローチすればいいか。抑えておくべき基本的な事柄を、独断でピックアップしました。

観光や短期留学の滞在でも、まずはこれらのポイントを抑えておけば、フライブルクを抜けなく満喫できるでしょう。


シュヴァルツヴァルト / Schwarzwald

フライブルクの市街地の背後にそびえる山並み。 “黒い森”と訳されますが、「山地」というイメージです。麓のフライブルクから見えているのは、山地の表のほんの一部分です。

標高はもっとも高いところ(フェルトベルク山頂)で海抜1,493mあります。フライブルク市内の最高峰は、1,284mのシャウインスラント山です。

山中には小さな村が点在し、鳩時計などの民芸品が有名です。冬は雪が積もることからスキーも盛んですが、地球温暖化の影響が心配されています。

針葉樹が生い茂り、遠目には黒っぽく見えるので黒い森と呼ばれるようになった、というのが定説。異説もあるようです。


ドイツの端 / Sudwest Deutschland

フライブルクはドイツの中でも南西(地図でいう左下)の端の方、首都のベルリンからは最も遠い地域にあります。

気温、日射量は北国ドイツの中では格段に高く、太陽光発電や太陽熱利用、さらにはワイン用ぶどうの栽培が盛んです。また、温暖な気候ゆえ、老後に住みたい町としても人気があります。

フランスのアルザス(コルマールやストラスブール)やスイス(バーゼル)はわりと近所です。逆にドイツ国内側を見てみても、近くに大きな都市がありません。

フライブルクがあまり”ドイツらしくない”都市に感じられる原因の一つでしょう。


旧市街 / Altstadt

フライブルク大聖堂 / Freiburger Münster

旧市街のシンボルは、カトリックのフライブルク大聖堂(Münster)です。聖人として聖母マリアが祀られています。

1200年ごろから1513年まで、300年以上もかけて建築されました。そのため、ロマネスク様式とゴシック様式が混在しています。

大聖堂の周りはマルクト広場(市場広場)という広場になっていて、朝市が開かれ、昼には焼きソーセージの屋台が並びます。ワイン祭りのメイン会場にもなります。

二つの塔 / Martinstor & Schwabentor

かつてフライブルクの街は城壁にぐるりと囲まれ、いくつも門塔が立っていました。マルティン門とシュヴァーベン門の二つの塔が残っています。

旧市街の、自家用車が入れない地区へのゲートにもなっています。塔の下のアーチ部分はトラムがギリギリ通れる大きさです。

べヒレ / Bächle

ドライザム川から引かれた水が、ベヒレという水路を流れているのもフライブルクの旧市街の特徴です。中世の絵図にはすでに張り巡らされたべヒレが描かれています。

蓋などはなく浅いので、夏場は裸足で中を歩く子供(や大人)もいます。

「故意でなくベヒレにはまった人は、フライブルク人と結婚する運命になる」という言い伝えもあります。


大学町 / Universitätstadt

ドイツで5番目に古い、1457年創設のフライブルク大学があります。もともと哲学をはじめとする文系が強く、哲学者のハイデガーが学長を務めていた事でも有名です。

フライブルクが環境都市として注目されるようになると、森林環境学科にも学生が集まるようになりました。

他にも音楽大学など大きな高等教育機関があり、学生や教職員などの大学関係者だけで、フライブルク市の人口の1割を軽く超えています。

学生向けの店も中心部に多く、そうした店が町の明るく開放的な雰囲気を醸し出すのに一役買っています。


食べ物 ワインとケーキ / Wein und Torte

フライブルクの食べ物の名物といえば、まずバーデンワインと”黒い森のさくらんぼケーキ”(Schwarzwälder Kirschtorte)を思いつきます。

バーデンワイン / Badischer Wein

フライブルクは”カイザーストゥール”というバーデンワインの産地に近く、ビールよりもワインが好んで飲まれると言われます。

夏にはフライブルクや周辺の町々で、ワイン祭りが盛大に催されます。

黒い森のさくらんぼケーキ / Schwarzwälder Kirschtorte

そして有名なのが黒い森風さくらんぼケーキ。キルシュヴァッサー(さくらんぼで作った蒸留酒)がたっぷり染み込ませてあります。

旧市街のカフェでは、このケーキが用意されているところが多いです。


ハプスブルク家 / Haus Habsburg

神聖ローマ皇帝として長年ヨーロッパに君臨した、オーストリアのハプスブルク家の領地としての側面もあります。フライブルクは14世紀にハプスブルク家の傘下に入り、ハプスブルク家は領地西部の拠点として、大学を開設するなどフライブルクの整備に力を入れました。

大聖堂に面した旧商館の建物にはハプスブルク家の人物の像が飾られていて、広場を見下ろしています。

フライブルクのメインストリート「カイザー・ヨーゼフ通り」の名も、ハプスブルクの皇帝に由来しています。

ハプスブルク家から、マリー・アントワネットがフランスのブルボン家に嫁ぐ際も、実家側の最後の拠点としてフライブルクに滞在し、準備を整えました。


そして、

環境都市 / “Green City Freiburg”

ドイツの他の地方で、あるいは都市計画の世界で、フライブルクといえば「環境都市」という言葉とセットで語られます。

戦後おそらく公害による、シュヴァルツヴァルトの立ち枯れが問題となるなかで、地元の環境を大切なものとして守ろうという機運がうまれました。

また、原発建設計画への反対運動が近隣で起き、「反対するだけではなく、そもそも原発が不要な社会にしよう」という考えから環境への市民の意識が高まっていきました。

市民の意識の高さは行政の政策につながり、再エネ・省エネ推進、トラム・自転車重視の交通政策、といった先進的な環境政策をこれまで継続的に実施してきました。

これらのコンセプトを網羅した新しい市街地として、ヴォーバン住宅地は特に著名になり、世界各地から視察が訪れています。

この記事をシェア
コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。